九三式重爆撃機(二型)用プロペラの保管や展示は?
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80年前の爆撃機プロペラ発見 群馬県の伊勢崎茂呂小

 
80年前の爆撃機プロペラ発見    群馬県の伊勢崎茂呂小

伊勢崎茂呂小で見つかった木製プロペラ

平和考える資料に

 およそ80年前に造られた国産爆撃機用の木製プロペラが、群馬県の伊勢崎茂呂小で見つかった。三菱重工業が開発・製造した「九三式重爆撃機」用のもので、日本楽器(現ヤマハ)が製作したとみられる。同校に渡った経緯は不明だが、市内の伊勢崎神社には戦時中、中島飛行機の関係者が飛行機の無事帰還を願って奉納した木製プロペラがある。関係者は「平和の大切さを考える貴重な資料になる」として発見を喜んでいる。

 プロペラは全長3・8メートルで、全体に灰色の塗料が塗られている。中心部の側面に「九三式重爆撃機(二型)用プロペラ」「昭和11年7月」などの文字が確認できるほか、日本陸軍の紋章と日本楽器の社章がある。同爆撃機は1936(昭和11)年までに100機以上製造されたが、日本航空協会(東京・港区)などによると同機に関連した物が見つかるのは珍しいという。

 昨年9月、同校のプール東側倉庫にプロペラがあるのを木村収校長が見つけ、地元の卒業生に聞き取りを行うなど独自に調査した。今年2月には、「伊勢崎空襲を語り継ぐ会」の会員2人が6年生の授業のために来校した際に実物を見てもらった。同会の佐藤好彦会長は「驚いた。市内に残る戦争事跡として貴重なもの」と話す。

 木村校長の調査では、かつて同校にあった講堂外側の壁で50(昭和25)年前後にプロペラを触った記憶があるという卒業生の証言を得たが、いつどのようにしてプロペラが同校に来たのかは謎のままだ。

 現在は校舎2階渡り廊下の脇に移し、校外の人でも事前に連絡すれば見ることができる。

 木村校長は「このプロペラは平和を考える資料になる。地域と結び付きの深いものだと思うので、どういう経緯で小学校に来たのか、何か知っている人がいたら教えてほしい」と呼び掛けている。

参考:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180407-00010000-jomo-l10

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名無しさん
戦争と平和は人の永遠のテーマだね
おそらく人はその誕生以降
小規模の紛争や内紛を含めると
世界のどこかで確実に戦っている場所があったのではないかと思う
そういう意味で日本は先の戦争で大きな代償をはらったが、それを教訓にしている方だと思う
完璧ではないにしても世界各国からみると
凄く平和な国だよね

かかし
そうは思えん。
戦前の精神主義と戦後の合理主義が混在して教育は混乱している。
その結果日本人の価値観全体が混乱している。

MEVIUS_0NE
俺らが呑気に暮らしてる間にも海の向こうで何百と理不尽に死んでるで。

名無しさん
戦争は人を幸福にしないことは事実教育にうまく結び付けて欲しいがあまりに偏った思想の植え付けは困るよねバランスの良い考えが出来る子供たちにしてほしい

かかし
戦争を繰り返した結果、今がある。

名無しさん
確かにこのプロペラで何で平和の大切さが分かるのかが分からない。もちろん戦争の愚かさや平和の大切さも教えないといけないが、どっちかというと科学技術の発展の歴史や先人の苦労と努力を教える教材とした方がより適切だと思う。

コメントを書く目玉焼
楽器の製造で培ってきた技術を応用するヤマハさん、この時代からそうだったんだなぁと。

タヌキウム光線
ヤマハがこの軍用機のプロペラ製造を行っていた工場を、戦後に活用するためオートバイ製造を始め、後にヤマハ発動機として独立しましたから、このプロペラ製造はヤマハの歴史上大きな節目だったともいえますね。

目玉焼
うろ覚えなのですが、電子楽器で培った技術はアナログモデムのICに応用されたり、その後はルーター等も手掛け。
あと、システムキッチンの製造もピアノで培った木工技術がベースにあったとか。
二十年近く前に利用していたISDN用のルーター、デザインも素敵で自分も利用していました。

名無しさん
うちの祖父がやってた機械工場も戦時中は軍需工場に指定され何を作っていたのかは知らないが国家総動員だったのは確かです。

名無しさん
プロペラを奉納したのは戦地に赴く学徒兵員さん達が無事に帰って来る事を願ったからではないでしょうか?
今から16年近く前の話ですが、80年以上続く、有る会社のエンジンの耐久信頼性保証基準の背景の最初のページに平和を願う技術者の想いが書いてあり感銘を受けた記憶があります。

名無しさん
学生の頃、学校移転のバイトをやったことあるけどいかにも貴重そうな写真集(学校史のようなものや、オリンピックと書かれたものなど多数)が廃棄のコーナーに積上げられてるのを目撃したのが印象に残っている。
こうやって過去の資料が行方不明になるんだなと思ったし、このプロペラが貴重だと判明して、ちゃんと保存されることを願うわ。

名無しさん
木製︎重たそう…
戦争を知らない世代ばかりの今、是非教材として活用してもらいたいです。

名無しさん
プロペラ機を間近で見る機会なんて、最近はあまりないから、これをプロへラと認識した人がいなかったんじゃないか。しかも全長4m近く。その大きさゆえに、逆に気付かなかったのかも。

名無しさん
この辺りは中島飛行機があって、そのため昭和20年8月14日にも空襲があって大きな被害が出た地域。逆に分かって隠した人がいるのかも。

名無しさん
写真ではよく分からないが加工中のものかな?それにしてもこんな代物では飛ばないね。

名無しさん
爆撃機のプロペラが木製て驚き️

名無しさん
まだ固定ピッチの頃だからね。基本竹とんぼと一緒。次の世代になると可変ピッチで一気に構造が変わる。

名無しさん
フォッケウルフFw190D-9やタンクTa152は木製プロペラ使っていたと思ったが?

名無しさん
爆撃機の話だけど?
戦闘機なら
機体そのものが木製て
沢山有るけど!
知ったかさん︎

名無しさん
オークションでも戦争遺産が発見され続けています
法律で個人売買を禁止し海外流出を防止して保全した方が良いと思いますね


これが沖縄だったら公表もせず廃棄処分だったね

とみん
安倍さんや自民党ならやりかねませんね。

名無しさん
可変ピッチもなく、ホンマに回るだけなんや。
しかし木製品を作ってたヤマハが裏でトヨタを支える世界トップクラスのエンジンメーカーやもんな、凄いね。

名無しさん
ヤマハは本業の楽器以外でも、製造技術は卓越している。かの名車TOYOTA2000GTのエンジンもヤマハの技術が培われているんだよね

名無しさん
それなりの所に出せば高額で引き取ってくれそう。

名無しさん
本戦では、評判がよくなかったために、97式に変わって本戦から退き、練習爆撃機として、活躍してたか
元々は金属製だったが、なんらかの事情で木製が使われてたわけか

名無しさん
校長先生の行動力がすごい!

名無しさん
一つ前の九二式重爆だったら希少度が格段に高く、仰天していたところだが、九三式なら比較的多数が量産されてるからねぇ。

一般市民
なぜ今頃の発見、と思ったけど…
飛行機、しかも重爆撃機のペラが木製だとは。
当時の日本の物資の少なさが良く解るよな。
ゼロも終焉の頃は羽など木が多用されていたそうだし。

名無しさん
当時の日本が貧乏なのはそのとおりですが
昭和11年当時だと木製プロペラは普通ですよ。

名無しさん
どうして今頃になって発見されるのか不思議なんだよな️

名無しさん
普通に航空博物館に、寄贈した方が良いのでは?
もしくは安く提供

痴漢冤罪は男性へのセクハラ
戦争を防ぐためには充分な抑止力が必要。

名無しさん
何故プロペラが平和を考える資料になるのか意味不明…

本間可井奈
木製かよ

名無しさん
でかくね?

退役空挺軍人
こんな長く大きなものがどうして人知れず眠っていたんだろう?

名無しさん
敗戦後の混乱の中で、GHQ等から秘匿するために密かに隠し、そのまま忘れられてしまったのでは? と考えますが……。

名無しさん
貴重な資料です

名無しさん
何かっていうと平和を考えるとか言うが、そうじゃないと思う。
日本の航空産業が駆け出しのころの産業遺産で、あの頃の日本がなりふり構わず技術を模索してた時代を知る資料だと思う。

名無しさん
同意です。爆撃機の、と言いにくいから平和、平和と無理やり言ってる思考停止に思えます。

名無しさん
日本全国
防衛省日報隠し
の様に一斉確認をすれば
ディアゴスティーニ的
一機作れるのかも?

189
貴重な品ですね。
大事になさってください。

名無しさん
木製でいいの?

名無しさん
モスキートを知らんのか?

名無しさん
木製にはジュラルミンと異なり「軽い」というメリットがありました。
ジュラルミンだとなにしろ、プロペラだけで200キロあり、軽量化を目指す軍用機では無視できない重量でした。
しかし木製プロペラは、使っているうちに、遠心力でプロペラ内部の水分が吹き飛び、プロペラが次第に痩せ細るという問題点があり、
また、可変ピッチプロペラには対応できないという欠点もありました。
発動機の馬力向上に伴い、ジュラルミンのプロペラの「重い」という欠点はあまり目立たなくなり、そうなると、木製プロペラの欠点が目立つ事となり、次第に木製プロペラは使われなくなりました。

名無しさん
大事な物ですから、もうすこしちゃんと保管されるべきではないでしょうか?!

名無しさん
三万円で買い取ります。

名無しさん
戦争資料ではあるが国内で作られた航空機の歴史的資料でもあるので、長期の保管や展示・見学まで考えると国内のいずれかの航空博物館に引き取られるのが一番いいように思う。

名無しさん
金属ではなく木製というところが悲しい。戦争の為に必死になっていたのだろう。今、日本は表面的には平和だが、並々ならぬ決意で平和を守っていかなければ、いつまでも平和とは限らない。

反日パ.ヨクは媚特亜
当時の朝日新聞や毎日新聞が戦争を煽りに煽っていた件に関しても、教育の資料にすべきだな。

名無しさん
木製っていうのがまたすごいな
昔の日本人はやたら器用だよ

名無しさん
ローマ皇帝曰く平和を守るなら強い軍隊を持て!!

名無しさん
当時に今の様な集成材の技術はまだ無かったと思うから、一本物から削り出したのか?
3.8メートルって大型トラックの高さだから、この爆撃機も相当でかいんだろうな。
富嶽は更にでかい予定だったんだろ?
資源も金も無い日本が、大和やこんなの造ってたんだからあの当時の日本人恐るべし。

未設定
悲しい時代の遺物ですね。
私の母親も天皇を神と教育され、敵兵が来たら竹槍で突き刺す練習をしたと話していました。
皇居に行って玉石をひっくり返す奉仕をした事を嬉しそうに自慢していました。
軍に洗脳教育され、鉄製品や食料も差し出したり、悲惨だったと言っていました。
勝てもしない戦争に突っ走り、戦地で負けている事を隠し、奇襲作戦や特攻を美化し、日本は神の国だから必ず勝てるとプロパガンダされ…戦争がなければ、もっと幸せだったんじゃないかと思いました。

名無しさん
そんな単純じゃないぜ

名無しさん
こんなガラクタで平和を妄想しないといけないのか?
小学生も大変だな(笑)

名無しさん
「『平和を考える資料にする』なんて、とんでもない!軍靴の足音が聞こえる!!」
と主張する方が出そうですね。

かかし
平和を考えずに平和から目を背ける教育しかしてないクセに偉そうなこと言うな馬鹿が

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