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尊敬する父親の形見の扇子。「灸(きゅう)は身を灼(や)くにあらず 心に燈(ひ)を點(とも)すなり」と書かれている。治療ばかりに目が向いていたときには、この言葉は響いてこなかったが、今の中村にはずしりと重い言葉となっている。「心に燈を點せるような、患者の人生に向き合った治療がしたい」と中村は言う。

医師は、謙虚であれ
中村が率いる乳がんの診断と治療の専門センターは、乳がんの手術数が年間700件という日本屈指の多さだ。センターを立ち上げ、育て上げた中村。しかし、治療には、常に謙虚さを持って向かう。「自分の診断は本当に正しいのか」「これで間違っていないか」。患者の声に真摯(しんし)に耳を傾け、少しでも疑問が残るときは、同僚に意見を求める。そして、その姿勢を若手医師にも伝えようとしている。「白衣を着ていると“先生”と思われるかもしれないけれど、それにおぼれてはいけない。もっと謙虚でないといけない」と中村は言う。謙虚さを失うと、医師としての成長は止まってしまうと考えているのだ。

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忘れられない患者の最期
東京浅草で生まれ育った中村。父は町で名を知られたしんきゅう師だった。いつも患者のグチや悩みを聞きながら、時には厳しく、時には優しく応対していた父。中村はそんな親の姿を見て医師の道を志した。
外科の道に進んだ中村は、いつしか病気を「治す」ことにばかり目を向けるようになってしまい、患者の「声」に真しに耳を傾ける姿勢を忘れてしまっていた。そんな時、幼子を連れた再発患者が中村を頼ってやってきた。「一日でも長く生かせてあげたい」。しかし、抗がん剤を次々に投与しても効き目はなく、副作用の厳しさばかりが彼女を襲った。そして彼女は、「子供の世話をしたい」と言いながら苦しみながら息を引き取った。中村は、「自分のやり方は本当に正しかったのか」と、深く悩むようになる。
悩む中、中村は乳がん治療の先進国、アメリカでの研修を希望する。ここで中村は患者をたくさんの専門家でともに診るチーム医療を知る。彼らは治療だけでなく、患者のその後の生活まで見据えて相談にのっていた。日本に帰った中村は、時間をかけながら同僚を説得。2005年、チーム医療を本格的にスタートさせた。

患者の人生に、よりそう
乳がんの患者は、30代後半から急激に増えはじめ、50代にピークを迎える。この年代の女性は、母として、妻として、仕事人として、社会的役割が大きい。そのため、自分の身体だけにかまっていられず、病気による悩みも深くなる。今年3月末に乳がんの再発で入院してきた患者は、子供に病気の事実を伝えていなかった。がんの治療には家族の応援は必至だ。中村は、彼女の気持ちをくみ取り、人生によりそいながら、治療と人生のサポートをしようと試みる。

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